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今治

観光

2015.11.14

船乗りの心、菊間にあり 菅源三郎船長の慰霊顕彰式典

672号2ページ

命かけて、責任とった
菅源三郎船長の慰霊顕彰式典
 日本海員道の鑑とされる、菅源三郎船長の慰霊顕彰式典が先月24日、厳島神社(菊間町)の菅船長の銅像前で、盛大に開催されました。
 同式典は「郷党の偉人を讃える会」が主催。当日は菅良二今治市長や船長の親族のほか、60人以上が出席し菅船長の偉業を偲びました。
 菅船長は、菊間出身で明治16年に出生。西条中学校(現西条高校)を卒業後、東京商船学校に入学。日本郵船に入社し、船長になりました。
 豊富な経験を積み操船技術はトップレベルでした。そんな中、大東亜戦争が始まったその日、長崎丸を航行していた菅船長は通報を受け巧みな操船技術により、敵の船を座礁させたのです。
 翌、1942年5月、長崎丸の船長として、上海から長崎へ帰航中、機雷に触れ船が沈没。死者行方不明者39人を出しました。
 菅船長は奇跡的に生還、過失もありませんでしたが「一身を捨てねば日本の海員道が相立たぬ。」と、全て事後措置が完了した1週間後、責任を取り自決したのです。
 愛媛偕行石鉄会会長の重松惠三さんは「菅船長の話を子どもの頃よく聞きました。郷土の偉人たちがいたということを継承していかなければならない」と話しています。

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