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新居浜

教育

2022.12.17

金言に出逢う 株式会社イオタ オーエーシステム 取締役会長 渡邊 秀治さん

398号2ページ

誠実、謙虚そして感謝
株式会社イオタ オーエーシステム
取締役会長 渡邊  秀治さん(70


 「未来には宇宙から電気と通信を無線で地球に送る時代。通信設備業界も世代交代して若い人たちが研究開発できる職場環境が大事」。電気通信事業として今年8月に創業35年を迎えたのを機に、二男の将幸氏に代表取締役社長を譲り、取締役会長に就任した。
 広島の大学を卒業後、
東京の金融業界に就職したが、知人の経営するレストランに転職した後、松山市で洋食店を開業した。数年後、電電公社が民営化するとの報に「これだ。通信業界が面白い」と決断して、店を閉じて通信設備販売会社の松山営業所に就職。電話機は電電公社の永久レンタル制度から自由化され、同営業所で電話機のセールスに奔走。トップセールスマンとなり同営業所長に抜擢されたが、電話販売のピークが過ぎて同営業所の撤退が決定した。しかし「私の売ったお客さんのフォローをしなければ」という責任感にかられて35歳で創業した。
 社名「イオタ」はイタリアの幻の車名。「一番好きな車を名づけ、独立の覚悟を決めた」と言う。下請けの仕事では納期に間に合わせるために「気絶するまで仕事しろ」「立ったまま寝ろ」とまで元請に言われたが歯を食いしばったという。その後、中継電話に参入した第二電電のグループ会社から通話料が安くなる回線のアダプター交換工事を依頼され、「チャンスだと思いすぐに引き受けた」という。企業を中心に営業を展開して仕事は急増。「自宅がアダプターで埋まった」と苦笑する。
 さらに「これからは固定網から移動体電話だ」と言う京セラの稲盛和夫氏の言葉に共感。PHSの普及に伴う愛媛のアンテナ建設に手を挙げた。営業、設計、建設まで手掛けた。ただ「このままでは使い捨てられる」と思い生き残るためには資格が武器だと判断。社員と一体となって国家資格や認定資格など330近くの資格を修得し信頼を築いた。「通信業界は日進月歩の変化を遂げ、その波に相応できたことと運も良かった」と振り返る。
 社員には「会社のことを優先したばっかりに一人一人の気持ちがわからず、辞めた人もあり本当に辛かった」と唇を噛む一方で「今やっと人に誠実、謙虚、そして感謝することが大事だと心から感じている」と話す表情から温かさと信念が伝わる。(愛媛ジャーナルより転載)



経歴メモ
わたなべ  ひではる
昭和27年8月15日生まれ、松山市出身。広島経済大学経済学部卒。昭和62年、有限会社イオタオーエーシステム代表取締役。令和2年、一般社団法人・情報通信設備協会四国本部長。令和4年8月、取締役会長。妻と2男。趣味はゴルフ。夢は桜前線を追ってキャンピングカーで日本を北上。血液型はO型。


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