松山
生活
2024.01.15
特別寄稿 城山太郎 坊っちゃん列車運休騒動の波紋
67号3ページ

中村知事「どっちも、どっち」
昨年10月、伊予鉄道が運転士不足を理由に坊っちゃん列車の運休を発表。松山市の野志克仁市長は「相談はなかった」と不満をぶつけるなど波紋が広がった。発表までの経緯をめぐる松山市と伊予鉄の食い違いに加え、22年前に坊っちゃん列車を復活させた中村時広知事(当時松山市長)は、野志市長の「残念です」という会見の発言に「他人事ではない。行政ができることは何か」と野志市長の対応に不快感を示し、知事も参入した騒動に発展した。
市と伊予鉄"出禁"の溝
市と伊予鉄の食い違いの背景には、JR松山駅前で市が計画する公共交通ターミナル「バスタ」をめぐり、伊予鉄が懸念を示していることに市が不信感を抱き、梅岡伸一前副市長は伊予鉄トップの市役所への„出禁"にまで言及した。野志市長と伊予鉄の清水一郎社長は松山南高校の同級生でかつては松山市駅前広場整備計画も二人三脚で進める仲だったが、最近は両者に溝が出来ているというのだ。清水社長は「これまで何年にも渡り、担当部長には窮状を訴えていたが耳を傾けてくれなかった。積もり積もったことだ」と中村知事に報告していると言うが、野志市長は、伊予鉄は運休決定を一方的に伝えてきただけで事前の相談はなかったと説明。両者の違和感が浮上して事態を拡大させた。中村知事が「官民共同で20年間、あの汽笛の音が街の歴史を刻んできた。民間との話し合いが必要」と提言したことなどを受けて、藤田仁副市長は「私は好き嫌いで人と会う、会わないではない」と柔軟な姿勢を示して清水社長と会談。清水社長は道後温泉や松山城は観光コンテンツとして市が指定管理しているとし、坊っちゃん列車を市に無償で譲渡することを提案したが、市は列車の安全管理などを理由に指定管理には難色を示した。
藤田副市長激しく追及
それでも各界の意見を聞きたいとして11月18日に「坊っちゃん列車を考える会」の初会合を開き、運行再開を非公開で議論した。野志市長や清水社長、商工、観光、大学関係者らが出席したなかで、藤田副市長は運転士不足を挙げているが、補助金を求めてのことではないかと伊予鉄側を追及して激しく詰め寄り、伊予鉄側は運転士確保も原資は必要と言い返す場面もあったという。また市側は伊予鉄グループには赤字路線バスなど年間数億円の補助を出していることも示したが、大学教授が他県に比べれば多額ではないと述べるなど道筋は決まらず継続協議で終わった。会合の後、清水社長は「累計赤字(坊っちゃん列車)は約14億円に上る。民間の努力では限界。市の委託ならば、来春から土日祝日の運行に向けて努力する」と囲み取材に答えた。今回の騒動に「どっちも、どっちだ」と周辺に語っていた中村知事は、3日後の定例会見で「今まで(松山市が)いくら出したというのは過去のこと。どっちがどっちと言うことではなく、経済状況が今は違う。観光コンテンツとして重要なのか、冷静に考えるべき」と促す一方で、当時を振り返り、「伊予鉄道の先人に今でも感謝している。(坊っちゃん列車は)赤字を出しても街のためにという心意気だった。汗をかいた人のことも考えて議論して欲しい」とも投げかけた。
森本氏の解任に中村市長が激怒
伊予鉄は加戸守行知事が初当選した知事選で、敗れた伊賀貞雪陣営を応援し、加戸県政から敬遠された時期があったが、当時の中村市政が目指した「坂の上のまちづくり」に当時の森本惇社長が協力。中村市政は坊っちゃん列車の導入には約1億円を補助。1番町のロープウェイバス駐車場にも補助を出すなど伊予鉄とは蜜月時代を築いた。その後、森本氏が航空会社の契約などをめぐり、社長を解任されたことに、激怒した中村市長は、経済団体の挨拶のなかで伊予鉄を強く非難。森本氏の愛媛エフ・エー・ゼットの社長就任に尽力するほどの絆を見せた。
春休みに運行再開か
運行再開をめぐる論議には、松山市議会議員のなかには「企業努力したのか。社長の報酬も含め公開すべき」などの声も上がるが、市は市民アンケートを実施する方針だ。またこの数年、バスや列車の減便や運賃値上げが続いていることに「歴代社長のなかには、幹部がおかゆを食べても値上げには慎重になれという考えがあり、それが名門、伊予鉄道の矜持だった」と伊予鉄OBは憂う。前社長の佐伯要氏も坊っちゃん列車の運休には、公共性の高い企業の責任だとして首を縦に振らなかったという。また伊予鉄関係者には「運転士不足ではなく、賃金も含めて労働条件だ」と指摘する声もある。しかしながら水面下では市と伊予鉄は既に、業務委託という形で春休みシーズンに向けて運行再開の大筋合意に近づいていると言われるが、この騒動で残した市と伊予鉄のしこりは、野志市長が大きな公約に掲げるバスタ建設にも影を落としそうだ。