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今治

生活

2019.03.09

ハンセン病患者に寄添い40年

766号1ページ

交流や講演続け、理解の輪広げる

 

香川県大島にあるハンセン病患者の療養所へ「患者さんに寄り添い、生きる意味を考えたい」と、毎年3〜4回訪れ交流や講演会などを40年以上行っている、今治市在住の主婦がいます。その人は白石由紀子さん(77)。彼女は、多くの人に正しく病気を理解してもらうため、自分にできる支援を続けています。

 

主婦の白石さん「即、行動のみ」

 

 白石さんが支援を始めたのは、42年前。宇和島市出身のハンセン病患者、島田しげるさんが書いた詩集「美しき非常」を読み、病気への差別や偏見を知りました。

 四国では当時、香川県大島に国立療養所「大島青松園」があり500人近くの患者さんたちがいました。周囲7キロの小さな島には、有刺鉄線で患者さんと職員の居住地区を分け、患者さんがいる地区は「汚染地帯」と呼ばれました。健常者の冷たい視線や態度に常にされ、自殺や虐待は後を絶ちませんでした。

 白石さんは人間扱いされない患者さんたちに、何かできないかとずっと考えていました。ボランティア活動で知り合った子どもらと折鶴をつくり、同施設へ初めて送ったのが昭和50年でした。

 次は声や言葉を届けようと、カセットテープに吹き込みました。そこからテープでの交流が始まりました。患者さんの声は明るく、元気でした。なぜ笑えるのか白石さんは患者さんの顔を見たくなりました。

 

 

 

 当時ハンセン病は不治の病で、感染すると思われ、療養所への訪問は家族も大反対でしたが、今は亡き夫の勇さんを説得し二人で向かいました。

 島に行く船を桟橋で待っていた時、勇さんの「ここで患者さんやその家族はどんな想いで待っていたのだろうか」とつぶやいた言葉が忘れられず、毎年必ず行こうと決めた白石さん。

 そこから年に3〜4回、患者さんに会いに行くように。島で待っていたのは、患者さんたちの笑顔でした。前を向く患者さんと触れ合うことで生きる意味を問われました。43年の付き合いになる磯野常二さん(87)もその一人。磯野さんは西条市出身で9歳から同所に入りました。仲間の死、差別、自由のない生活が続いても誰を恨むことなく「今が一番幸せや」と話す磯野さん。

 「生きることは難しいことだけど、すばらしいこと。人に寄り添い、今からここから自分からできることを生きている以上、続けたい」と白石さん。人権や命についての講演会の依頼も多くあり、県内の中学・高校では全て話しました。

 「講演を聞き、中には島を訪れてくれた生徒さんもいる。何より嬉しかった。行動を起こすのみです」と優しい笑顔です。


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